5月15日:沖縄日本復帰42周年記念日に寄せて
子育てや介護の大幅な制度改正と自治の方向性を学ぼうと、先日、横浜市で開かれた講座に参加したときのこと。
名刺を交わした県外の先輩議員がおっしゃった。
「私は元教員でね。なりたてのころ復帰運動で沖縄に渡ったよ」
嬉しい出会いに、まわりの方々も巻き込んで、復帰話にしばし花を咲かせた。
当時、本土側からも手を伸ばし沖縄とつないだ方々もいたからこその復帰であったのだろうと、感謝の思いを馳せた。
きょう5月15日は、沖縄日本復42周年記念日。
当日地元紙の見出しは、
琉球新報 「いま 祖国に帰る 変わらぬ基地 続く苦悩」
沖縄タイムス
「新生沖縄、自治へ第一歩 日本国院の地位回復 27年の米統治終わる」
復帰の喜びと、「核抜き本土並み」と望んだ形にそぐわなかった復帰の現実への複雑な県民感情を、如実に表している。
その日は土砂降りの雨だったという。
今日の沖縄も靄がかり時々雨の曇天。
梅雨時だから毎年そうなのだが、
沖縄県42歳の先行き不透明感をも表しているように感じるのは、
私だけではないだろう。
それでもなお、沖縄の晴れ渡る未来をともに目指していきたい。
そのための「沖縄の自立と協調」。
「議会の自立」に向けた「議会改革」がその一助になると、信じている。
沖縄の歴史の節目に生まれた「復帰っ子」の一人として。