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お知らせ

沖縄日本復帰45周年に寄せて

1972年5月15日、那覇市議会は深夜議会を開いており、「祖国復帰宣言」を決議したといいます。

那覇市議会では現在、いわゆる一括交付金を活用して、アメリカ統治下の会議録の電子化を行っています。
(その会議録は那覇市議会のHPからご覧いただけます)
沖縄日本復帰45周年その会議録から、「祖国復帰宣言」の部分を転載し、当時に思いを馳せ、沖縄のこれからを考えたいと思います。

特に、案文朗読までの「簡単な説明」が長いのですが、ぜひご一読ください。

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◆祖国復帰宣言(那覇市議会 1972年5月15日 第140回臨時会)

金城吾郎議員(辺野喜英與議長)

 ただいま議題となりました決議案第1号、祖国復帰宣言についてその提案の主旨をご説明申し上げます。
 その前に宣言案文の訂正、削除、挿入等がございますのであらかじめご説明申し上げたいと思います。

 宣言案文の1行目、人類の歴史にその比類をみない戦争の惨禍をうけたわれわれは、の中で“われわれは”とあるのを“沖縄は”にご訂正願います。次に、下から9行目、しかしながら、返還の内容はの次、“アメリカの軍事基地の存続と請求権の放案等であり”を削除いたしまして、その分に“必らずしも”を挿入いたします。次に下から5行目、“わが那覇市議会は”の“わが”を削ります。その下の段の右側、市民の福利増進を計る、とあるのを“福祉”に訂正、さらに、計る、“を図る”に訂正、最後に“市民と共に”の次に“力強く”を“邁進”の前に挿入いたしたいと思います。

 それでは提案の主旨を簡単にご説明申し上げたいと思います。
 昭和47年5月15日のきよう、私どもは27年に亘るアメリカ支配に終止符を打ちまして祖国復帰の日を迎えました。思えば1945年の軍事占領以来実に27年、1952年の平和条約発効により祖国分断から満20年、私ども那覇市民も沖縄全県民とともに茨の道を歩んでまいつたのであります。
 その間、多くの問題がございましたけれども戦争遂行のため必要とされている軍事基地の拡大強化のため沖縄の土地の強制接収そして引き続く一括払いによる土地の買上げ等、沖縄全体の将来に、そしてこのことは日本の将来に大きな汚点を残すであろう多くの問題があつたわけでございますけれども、全県民が島ぐるみの闘争を展開する中から土地の買上げは阻止され、あるいはかつて、公選をゆるされた知事であつたけれども、1952年2月29日に発布された琉球政府の設立布告第13号、同時に発布された布令第68号、琉球政府章典によつて私ども行政主席は、これが公選にされるまで任命と切り換えられ、引き続き1957年6月に発布された行政命令第10713号、琉球列島の管理に関する行政命令によつてはその公選制なるものが打ち消され、その後全県民が自治権回復のために主席公選を主体とする多くの戦いを展開してきたことはご承知のとおりであります。
 琉球政府立法院においても沖縄における唯一の民意代表機関である立場からこれらの諸要求を立法院の全会一致の決議をもつて強く要求し今日に至つたわけであります。那覇市議会ももちろん祖国復帰の問題、失程申し上げた土地闘争を中心としてその他その時点時点における多くの問題に取り組み、その解決のために努力を傾けて来たことはご承知のとおりであります。そしてアメリカをして主席公選をさせなければならないところまで追い込み、また日米両政府をして沖縄返還を話し合わなければならない、取り決めをしなければならないところまで追い込めたことは最早強調するまでもないことはご承知のとおりであります。
 私ども那覇市は戦争の惨禍をうけながら一木一草もないあの焼野が原の中で満州からあるいは支那からあるいは東南アジヤの各地からそして本土の各県から復員し、あるいは引き揚げて来た市民諸君がともにこの焦土と化した沖縄を、那覇市を建設のために心魂を傾けて努力して来たわけであります。歴代市長そして市の職員諸君はもちろん、全市民が一体となり、また多くの指導者の英知を借りて今日の那覇市を築き上げてまいりました。その後多くの苦難と戦いながら祖国復帰の今日この日まで戦つてまいりました。われわれはこの日を契機として新しい日本の建設のために平和憲法のもと全県民が一致団結いたしまして憲法の精神に則つた自治県政確立のために新しい那覇市づくりのためにこの27年の間に戦いを土台として、さらに大きく発展させなければならない責任を痛感するものであります。
こういう意味におきましてこの意義ある歴史的な日である祖国復帰の日に那覇市議会はその決意を新たにする意味から過去のいろいろの問題を集約し、そして新たな決意を表明するためにここに祖国復帰宣言を提案するものであります。これまで時間をかけまして議会運営委員会において審議をつくし案文となつております。いま復帰の時点におきまして沖縄の現状は円通過の切り換え問題を中心とする県民の不安、あるいは返還協定に提示されているいろいろの問題をめぐりまして賛否両論いろいろありますが、少なくとも那覇市が生成発展し市民の福祉向上が図られるためには那覇市当局も議会も一致して難関打開のために努力しなければならない。このような決意のもとに高らかに祖国復帰宣言を謳いたいと思うのであります。
 以上簡単に提案の説明を終りまして案文を朗読いたします。

祖国復帰宣言

 人類の歴史にその比類を見ない戦争の惨禍を受けた沖縄は、祖国日本から分断され実に27年の長期にわたりアメリカの軍事的支配下におかれた。その間、人権は無視され差別と犠牲を強いられながらも平和を希求し、祖国への道を求めて多くの闘いを展開して来た。
 その闘いは人権の回復、自治権の確立、土地闘争等県民大衆の心情の発露であつた。このような沖縄の闘いは、遂に祖国日本の国民世論となり、全世界の反響を呼ぶまでに至つた。その結果、日米両政府の沖縄返還取り決めとなり昭和47年5月15日の今日我々は祖国復帰を迎えた。然しながら、返還の内容は必ずしも満足すべきものではなく、県民大衆の中に多くの不満をかもし出していることは誠に遺憾である。那覇市議会は、この県民の心情を卒直に訴え、日本国憲法の下で民主主義の基本理念を活かし、市民の福祉増進を図ることを約し、戦争のない平和な文化都市づくりのため、市民と共に力強く邁進することを宣言する。

昭和47年5月15日
那 覇 市 議 会
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